佐々木典士さんの「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を読んだ。人間とは5万年前のハードウェアらしい。
10月27日から11月9日の二週間は「読書週間」です。
こちらの企画に乗る形で、藤子堂でも何冊か紹介していこうと思います。
まずはこちら。ミニマリスト本です。
ミニマリストとは
もはやネットに詳しい人には聞き慣れない単語ではなくなりつつありますが、一応おさらいを。
持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。
「断捨離の親戚」みたいな感じに思ってもらえばまあ、間違いではないです。
断捨離との違いは、極限までモノを減らすことで、例えば家具は布団だけ(ベッドすらいらない)、紙の本は全部処分してKindleで賄おう(このKindleすらタブレットアプリ版ですまそう)、くらいのレベルです。極限まで物を削ることで、物に割く手間や意識を減らして日々に充実感を持てるようにしよう、という考え方。
「人間」は5万年前のハードウェア
見出しのは1章からの引用です。個人的にこの本の中で一番衝撃を受けたフレーズでした。
一方、ぼくたち人間は、5万年前から変わっていないハードウェアだそうだ。ぼくたちのハードディスクであり、メモリであり、プロセッサである脳は400年前の江戸時代どころか、5万年前から進化していない。
(53ページより引用)
勿論、成長する環境や発明されたものや技術などの影響で人間のスペックは多少なりとも変化しているんでしょうけど、それは後天的な教育の質が上がっただけでもともとのステータスというのはそこまで変わっていないんですよね。腕が増えたり背中にサブの脳が出来たりするようなメジャーバージョンアップがされていないという。
そんな古い体では昨今のモノと情報にあふれた社会に適応できないのはむしろ自然だ、というのが作者の主張です。確かに90年代のパソコンじゃ最近のソフトなんてほとんど動かないですし、もし動いてもめちゃくちゃ重たいです。
モノを減らす、というのは「選ぶ楽しみ」も手放すということ。
本の中では各所で作者さんの生活ぶりや持ち物が紹介されていますが、ミニマリストを名乗るだけあって異様に持ち物が少ないです。着るものとかもかなり絞ってますね。
他のミニマリストさんのブログとか覗いても、「洋服はこれ一式を2セットのみです!」みたいな人が多いです。「いつも同じ服で選ぶ手間なし! ミニマリスト最高!」というのが彼らの主張。
ただ、個人的には切り詰めすぎると選ぶ楽しさが無くなるんじゃないかな、という点が怖いです。藤子としては「悩む」ほとの量はいらないけど、2、3つのうちから「選ぶ」くらいの選択肢は残しておいたほうが楽しいんじゃないかなあ、と思います。洋服に限らず、「今日はこれ以外のやつがいい」って時はかならずあるんじゃないかと。
持ちモノが100個以上あるから、ミニマリストではない。100個以下に減らしたから、ミニマリストである。テレビを持っていたらミニマリストではない。スーツケースに持ちモノをすべて入れられればミニマリストである。そういう決まったルールは無いのだ。
(48ページより引用)
作者さんもこう主張しているんですが、どうも「ミニマリスト=服は1種類!」みたいなことがミニマリストさんのブログ界隈で暗黙のルール化しているよう気がします。
終わりに
「人間のハードウェアは昔から進化してないから、現代の情報量に適応できないよ! 最小限のモノに絞ったほうが毎日楽しいよ!」という主張は、これまでの断捨離よりはるかに説得力のあるアプローチだと思います。
モノに関しては選ぶ楽しみを残しつつ、ストレスになるほどの量に増やさない、というくらいが一番楽しそうだと思います。⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン!